そのとき

3月11日
そのときは家で仕事中。
はじめは、いつもの地震かなあと思っていると、
強く長い揺れがおさまらない。


いつもと違って大きな地震だと気付いた時には、部屋のあちこちで物が落ちはじめ、ガラスの割れる音も。
テレビが落ちるのをあわてて押さえながら、揺れがおさまるのを待つだけ。
物が次々と落ちるのをみながら「物減らそう。。。」と誓う。

クローゼットや台所も棚にあったものが全て落ちていた。
どこが震源か知りたかったが、テレビも映らず、停電になったことに気付く。携帯のネットも繋がらず。
暗くなる前に、玄関までの逃げ道を確保するために部屋の片付けを開始。
iPad にFM東京のアプリを入れていたことを思い出し、
そこではじめて、ラジオから震源地や被害の状況がわかった。
津波の被害も。
電話は繋がらないだろうと実家にはメールを。
17時過ぎに実家から携帯へ電話が。家族の無事を確認。
余震が続く中、ラジオを聴きながら、
黙々と片付けを続け、夕方までには終えることができた。
(何かをせずにはいられなかったというか、
片付けることしか思いつかなかったし、
普段の生活に戻りたかったのかもしれない。)
時折ある大きな余震にはベランダの窓を開け出口確保。
災害用伝言板があったことを思い出して、やっと登録。
食事の支度するためにガスメータをみていると、
2階の人が「大丈夫ですよ。お湯わかせましたよ!」と教えてくれた。
(プロパンガスには影響がなかったので助かった。)
前日に、仕事で週末こもるために食料を買いこんでいたし、
水道は止まっていたが、わずかに残っていた水も出たので、
夕飯はインスタントラーメン!
食事が終わった時にはすでに夜。
布団に入り、懐中電灯をつけながら読書。
やはりニュース映像がみたくなり、
携帯のワンセグで、はじめて被害の映像をみることに。
言葉にならず、繰り返される映像を見つめるしかなかった。
ツイッターに無事を報告。
夜遅くになってやっと届いたメールに返信。
。。。。やっと、眠りにつく。

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