第三舞台との24年

高校を卒業して上京した87年から東京を離れる02年までの15年間は、紀伊国屋へ進出後の第三舞台の活動時期と重なる。
18歳から33歳までの時期をリアルタイムで共有できたことを幸せだと思う。


といっても、チケット入手困難なうえ仕事が忙しくなったということもあり、91年・95年・97年の公演は見逃してるのだが。
87年の朝日が最初かと思っていたら、本家よりも天之磐戸編が先だった。
田舎から上京した18歳にはかなり強烈な影響を与えた。これぞ東京!
オープニングの群唱と、舞台が斜めに上がりながらも立ち続ける、みよ子の遺書のラストは今でもはっきりと思い出せる。背広姿の男性はカッコイイと初めて思ったことも。
そこから芋ずる式にいろいろな芝居に通いだすのだが、ある役者のファンになり出演する公演を追い始める。
今と違い、高校時代に情報として「夢の遊眼社」「第三舞台」とかが熱い!と知っていても、実際に動いている映像をみる事がほとんでできなかったので、生でみることができた衝撃はすごい。
第三舞台の芝居は、明るくて賑やかだ笑いがあるのですがその陽が濃い程、陰の影が濃い。
初期の三作は核戦争三部作。「天使は瞳を閉じて」は原子力発電所の事故で人類滅亡後の話。
笑いながらも孤独感やさみしさやせつなさがつきささる。
10・20代の頃は背伸びをしたい頃だったので、わからなくても難しい映画や芝居や音楽や本などを選んでいたけれど、そんなことは今はやらないのだろうか?
よくわからないことに寛容というか結論を急がない時代?
今やわかりやすさが必要で即座にYes・NO、好きか嫌いか判断する時代?

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